律令国家の形成: 中大兄皇子は667
律令国家の形成: 中大兄皇子は667年、都を近江に移し、翌年には即位して天智天皇となった。天皇は最初の令である近江令を定めたといわれ、また670年には全国にわたる最初の戸籍である庚午年籍を作り、改新政治の推進につとめた。大化の改新以来、30年近くも政治にあたっていた天智天皇が死去すると、翌672年、天智天皇の弟大海人皇子は、天皇の子大友皇子を擁する勢力と対立して吉野で兵をあげ、美濃に移って、ここを中心に東国の兵を集め、大和地方の豪族の協力を得て近江の大友皇子の朝廷を倒した(壬申の乱)。こののち、大海人皇子は即位して天武天皇となった。壬申の乱によって強大な権利を握った天武天皇は、その権利を背景に皇族を重く用いて天皇中心の政治を行い、律令国家建設の事業を強力に推し進めた。天皇は官吏の官位や昇進の制度を定めて、旧来の豪族を政府の官吏として組織することにつとめ、八色の姓を定めて、豪族を天皇中心の新しい身分秩序に編成した。天皇は、律令や国史の編纂にも着手した。
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