短命と幼児将軍が続くなか、将軍個人の人
短命と幼児将軍が続くなか、将軍個人の人格よりも、将軍職の地位とその権威をいかに高めるかが、白石の大きな課題の一つであった。将軍家継と2歳の皇女との婚約をまとめたり、閑院宮家を創設したのは、天皇家と結んで将軍の威信を高めようとしたためである。また一目で序列が明瞭になるよう衣服の制度を整えて、家格や身分の秩序を重視した。また朝鮮の通信使が家宣の将軍就任の慶賀を目的に派遣された際、これまでの使節待遇が丁重に過ぎたとして簡素にし、さらに朝鮮から日本宛の国書に、それまで「日本国大君殿下」としるされていたのを「日本国王」宛に改めさせた。
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