明治の芸術: 演劇では、歌舞伎が依然として
明治の芸術: 演劇では、歌舞伎が依然として民衆に親しまれた。明治の初めには河竹黙阿弥(1816~1893)が文明開化の風俗を取り入れた新作を発表したが、中期には坪内逍遥らが西洋演劇の影響のもとに、演劇の改良に努めた。また名優も現れて、いわゆる団菊左時代を現出し、社会的地位も向上した。また日清戦争の前後から新派劇と呼ばれる現代劇が始まって、人気のある通俗小説の劇化などを行い、演劇が民衆の娯楽として重要な存在となっていった。さらに日露戦後には、坪内逍遥の文芸協会や小山内薫(1881~1928)の自由劇場などによって、西洋の近代劇の翻訳物が上演された。
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